風呂飛行

身近なできごと

パンを食べるなど

恋人のロールパンをひとつ勝手にもらって食べた。ふかふかで美味しかった。小説を少し書いた。ずっとラジオを聴いている。最近で一番しあわせだったこと、ふかふかのロールパンかもしれない。そのくらい美味しかった。ロールパンにしては長めの形でコッペパンのようなパン。

 

寂しい気持ちが最近は友達のように思える。ここ数日はそこに落ち込みも加わってきた。

落ち込むニュースを見る。

好きな人の傍にはずっといた方がいいと思った。傷つけても傷ついても傍にいれば何とかなるのかもしれない。

 

私は湖のほとりに住む様を想像する。落ち込んだ時などはよく想像する。誰かから傷つけられることも、誰かを傷つけることもない、丸い気持ちのままでいられる日々。

そんな日々はあってないようなもの?

いうならば、味のないサイダーや白いパンのようなものではないか。

それらは私を傷つけることもせず、私の栄養になろうともせずただ通り過ぎてゆく。

 

「傍観者でいたい」と思っていた時のことを思い出す。何もせず何も見ないでただ生きていたいと思っていた時のこと。寂しかったくせに、人と関わるのが怖かったのだと思う。

 

最近の私の心には寂しさと落ち込みが通奏低音のように低く鳴っている。また、「傍観者になりたい」と思っているのだ。

 

白いパンとコッペパンもどきは違う。心の栄養具合が。

味のないサイダーのような小説はもう書いた。満足している。

 

コッペパンもどきのおいしさは、恋人を待っているから。

この味を忘れないで、覚えていて、失わずに生きていく力がきっと今の私にはきっとあるはずだから、もう一つ食べちゃおうかな。

 

あさの