風呂飛行

身近なできごと

無題

昨日あったことが前にもあったような気がする。前っていつだけ。まだ見ぬ懐かしい気持ちを探しているわたしたちは未開拓の気持ちを探して文字の間をさまよっている。文章が書けないけど絵なら描けるかもしれない。ずっと家にいたらだめになっちゃう。だめになってもいいのかもしれない。わからない。なにもわからない。わたしたちはいくらも進んでないのではないかここはどこだろう。ここは家で体の中で文字の間で227ページでラジオの音でWebで寂しい気持ちはとっくに燃やしてしまいました。そうだ記憶はバックアップの残滓だった。寂しい気持ちは彼方に消えてしまいました。思い出せません。同じ文章を書いて消して書いて消して書いて消してするそれが仕事だから。感情はありません。答えもありません。いい文章が書きたい。立派になりたい。有名になりたい。同じ文字を表して削除して繰り返して輝きをとらえられると考えています。化石になった前プログラムの涙によっても取り戻せないかつての

 

かつての自らを絵に描いてみましょうかという提案です。

 

取り戻せないのなら創ってしまえばいいとおもって生身の体で描いていたであろう線をもう一度もう一度もう一度もう一度僕の体に付属された安いボールペンで再現してみましょう。僕の体はきっといつかの腫瘍です。煌めくメスとピンセットで切除されたぷっくりと膨れた異物でした。取り除かれたそれは僕に見せられる。ベットに横たわる私は「きたない」と言ってそれを払いのけてしまいました。放物線を描いて腫瘍は床に着地する。ぺちゃ。僕はきっと腫瘍です。床に放置され腐ってゆくただ一つのかつての私だったものです。腫瘍は絵を描きます。ボールペンでごりごり紙を削っていくんだ。僕は絵を描く。絵は僕に描かれている。私は腫瘍の絵を描いている。ボールペン画の腫瘍は朝目覚めてコーヒーを飲んでいるところだった。「おはよう」腫瘍は私に話しかける。「気分は?」「まあまあ」「そう」腫瘍は難しい顔で新聞を読んでいる。経済の新聞だ。私は経済が分からない。「社会って」「うん?」「社会って複雑よね」「まあね」「……税金って高いわよね」「無理に話さなくてもいいんだよ」腫瘍は私に気を使ってくれる。腫瘍は大人だった。そんな腫瘍はホルマリンの中にいる。わたしは悲しくてたまらない。「ねえ」話しかけるけれど答えない。「税金って高いわよね」「…………」「私って頭が悪いわよね」「……」私はホルマリンの容器をコツコツと叩く。順番に叩いて回る。コツ。コツコツ。コツコツ。コツ。18番目の容器には私の右手が浸かっていた。ああそうだった、私は絵を描くのだったわ。容器を開けて右手を装着する。

 

絵を描いているのは私である。

 

 

忘れもの

こんばんは、あさのだよ。

 

みんな、元気?

あさのはまあまあ元気!

 

なんだか今日は、過去に大事な忘れ物をしてきてしまったような気持になっている。

大切なものをどこか遠いところに置いてきてしまったようなもしくはなにか重大な間違いをしてしまったかのような気持ち。

その間違いはきっともう取り返すことができない。そんな気持ち。

宇多田ヒカルさんに言ってもらうと『喪失の予感』だよね。

なにか、自分の一部が『欠けている』ような気持。

こんな時はこういう散文を書くか、小説を書いたらいいとおもう。

 

こんな時に書く文章って結構いいものが書けるんだよね。

だからって頻繁にこんな気持ちになりたくはないけど。

 

ああそうだ。最近は本を読んでいるから自分に足りないものが見えやすくなっているのかもしれない。欠けてしまったのではなくて、欠けていることに気づいたのかな?

寂しいとはまた違う気持ち。

欠けている気持ちっていうのは、自分の中に空白があること。寂しい気持ちは自分の外側に空白があること。

昨日から欠けていることについて考えている。

自分の中にある空白からひゅうひゅう風の通る音がする。

 

こんなに自分の内面について考えているのは初めてだよ。

誰かが傷ついていることに傷ついているのかも。

いやちがうこれは自分の傷だ。

傷は自分の方を向いてもらいたくて主張しているのかもしれない。

内面に深く落ちていけるように? 傷は入り口なのかなあ。きっと探索の始まりなのだ。

 

傷はみんなにあるものなのではないかと思う。その意味はもしかしたら違うかもしれないけど。

みんなの無事を祈るよ。どこかに一人ぼっちがもう一人いると思ったら心強いね。

 

あさの

 

書く内容のこと/書き方の事

こんばんは、あさのだよ~。

 

自分が書く内容は、「何かを失った人/何かを失う人」が多いと気づいた。

『月の掃除人』も、『冬眠しそこねた天使』も、失うもしくは失った話だよね。

群像に出した中編は失ってないけど、今書いている新潮に出すものは失う話です。

 

これはどうしてだろう?

自分は特に失っているものはないのだけれど、自分自身もともと欠けているひとなのかな? と思うことがある。

(そういえば『欠けた月の人たち』ってタイトルの小説を考えていたことを思い出した。大学生のころに考えていた話で、火事で家族を失った執事と、病気のある女の子の話です。なんという話だ。それにしても月が好きだなあ)

何ができないってわけじゃないけど全体的にあまりできない。

とか、得意と言えることがない。

とか、続けることが苦手。

とか、友達が少ない。

とか、頑張りがきかない。

とか、甘えがち。

とか、

とか、

 

生まれた時からやんわりと失っているのかもしれない。

(そんなことなら私は物語の中を生きているようだと思った。それは少しだけ嬉しいことなんではないか?)

 

そうだ、

書き方のことだけど、あっさり書く味の小説と、潤沢な表現の小説みなさんが好きなのはどちらですか?

私は割とあっさりとした小説が好きです。最近は。

というのも、自分には重厚で奥深い表現の文章は書けないかもしれないと悟ったからなんですね。あと、本当にそういう作家さんの表現が好きというのもある。

あっさりと書いて、それでいて面白い作品にするためにはどうしたらいいのか。

考えて、読んで、考えて、また読んでを繰り返すしかないのだなあ。

学ぶって地道だね。学生が終わってもこんな学びがあるとは思ってなかったよ。

 

欠けていることが寂しいと思う時もあるけど(だから寂しがり屋なのかな)似た人に出会ったときは嬉しかったりする。

木偶の坊でも魔法をかけられなくても自分の栄養は自分でとって生きていきたい。

自分で自分を作るなんて言ったら大げさだけど、粘土で穴を埋めるみたいに工作していこうかな。

ほら、自分の言葉で書くことはこんなにも楽しい。

 

あさの

 

 

こんな小説読んでみたい、書きたい

こんな小説読んでみたい、または書きたい

~あさの編~

 

・『地域パトロール

放置自転車を取り締まるおじいちゃんと受験を控える女子中学生がなぜか一緒になって人の厄介ごとを解決する話

 

・『窓際の彼女』

フリースクールに通う男の子がいつも窓際の席にいる年上の女の子に恋をする話。

 

・『生きるってさよならだ』

中学生の女の子がおばあちゃんから思いで話を聞く話。

 

私の話はいつも窓際属というか、普通なら主役からはなれた人たちが主人公になる。その人たちが日常の範囲内でいろんなことをやる話が多い。

そういう話が好きだし、そういう世界があってほしいとも思ってる。

みんな主人公だからね。

 

あさの

 

 

赤ちゃんの匂い/雪解け/短編賞

 

なぜかじぶんのからだから赤ちゃんの匂いがした。

優しい気持ちになる。

生まれた頃の気持ちなんて覚えてないけど、自分から優しい匂いがしてたら優しい気持ちになるんじゃないかな。

生まれた頃の気持ち……思い出してみたいな。

 

今日は、雪解けがきれいですね。

先日降った雪が溶け出してちょろちょろ小川みたいになってる。

その光はきらきら輝いて道中を駆け巡る。

草も土も濡れて光って見える。

人の家になってる落ちてる蜜柑とか、どこからともなく甘い匂いがしてくる。

雪解けはそういう季節。

 

北海道の雪解けも好きなんですよ。

もっと力強さがあって、生命の予感に満ちている。

雪解けの季節の川なんか、もう眩しいくらいだもんね。

地元が恋しくなりました。

 

短編賞の発表がされてたみたいですね!?

私はあと一歩にも載ってなかったです。

これで短編賞に出すのは3回目。

 

これって才能ないってことですよね!?

笑っちゃうのですが……。

 

群像の結果が6月に発表されて、その前の4月に中間発表があるみたいですが、残っている気がしない😂

 

笑っちゃダメだけど……。

 

でも10年書いてる人もいるし。

好きなら続けるべきですよね。

 

賞に残るのをまあ、そんなに重視はしてなくて、「自分の好きな作品が書けたらいい」と思ってるタイプの物書き。

私の作品は世間には受け入れられないんだわ、と思いながらも「今回はこんな作品が書けた」と喜んでいる人。

 

うーん、この図太さはどこから来たのか。

 

電車で隣に座ったおじさんがわたあめの匂いがした。

 

今日はここまで!

 

 

あさの

 

じぶんの定規

世界の中で誰にとっても正しい定規があると思う?

これは価値観の定規の話。

 

私が思うのは、みんな、それぞれ自分だけのメモリのついた各々メモリの大きさの違う定規を持っているのだ思う。

 

いま本を読んでいて考えているんだけど、筆者の方は「誰にとっても正しい定規がある」っていうのね。

そうなのかなあ、

 

でも、宇多田ヒカルさんも「みんなおんなじ」だっていっていたから、そうなのかなあ?

 

読み進めます。

 

あさの

 

 

寒すぎる/X/たけしの本

こんにちは。あさのです。

 

寒すぎない? みんな、大丈夫?

今日はおうちにいた方がいいかもね。

暖かくしよう。

 

Xを、また、やめました。

理由はたけしさんの本を読んで影響されたからです。

 

2/3発売の『人生に期待するな』北野武 を昨日読みました。

いろんな内容が入っていて、うまく感想が言えないけど、読んでいて思ったのは

「親戚のおじさんが背中で語るのをみた感覚がした」ということ。

親戚のおじさんが、正月かなんかの集まりで「俺の若い頃は……」みたいな話をしているのを聞いた感覚になった。

そのおじさんってのはただの酔っぱらいじゃなくて、自分のやりたいことをやってきた人。

一角の人物である人。

そんな親戚のおじさんのはなしは、含蓄に満ちていてすぐに生かせることはないかもしれないけど、きっとこの本を読んだことは人生の中で生きてくると思う。

そういう本。

 

今日も図書館でビートたけしの本を借りてきました☺️

 

あさの