こんばんは、あさのだよ~。
自分が書く内容は、「何かを失った人/何かを失う人」が多いと気づいた。
『月の掃除人』も、『冬眠しそこねた天使』も、失うもしくは失った話だよね。
群像に出した中編は失ってないけど、今書いている新潮に出すものは失う話です。
これはどうしてだろう?
自分は特に失っているものはないのだけれど、自分自身もともと欠けているひとなのかな? と思うことがある。
(そういえば『欠けた月の人たち』ってタイトルの小説を考えていたことを思い出した。大学生のころに考えていた話で、火事で家族を失った執事と、病気のある女の子の話です。なんという話だ。それにしても月が好きだなあ)
何ができないってわけじゃないけど全体的にあまりできない。
とか、得意と言えることがない。
とか、続けることが苦手。
とか、友達が少ない。
とか、頑張りがきかない。
とか、甘えがち。
とか、
とか、
生まれた時からやんわりと失っているのかもしれない。
(そんなことなら私は物語の中を生きているようだと思った。それは少しだけ嬉しいことなんではないか?)
そうだ、
書き方のことだけど、あっさり書く味の小説と、潤沢な表現の小説みなさんが好きなのはどちらですか?
私は割とあっさりとした小説が好きです。最近は。
というのも、自分には重厚で奥深い表現の文章は書けないかもしれないと悟ったからなんですね。あと、本当にそういう作家さんの表現が好きというのもある。
あっさりと書いて、それでいて面白い作品にするためにはどうしたらいいのか。
考えて、読んで、考えて、また読んでを繰り返すしかないのだなあ。
学ぶって地道だね。学生が終わってもこんな学びがあるとは思ってなかったよ。
欠けていることが寂しいと思う時もあるけど(だから寂しがり屋なのかな)似た人に出会ったときは嬉しかったりする。
木偶の坊でも魔法をかけられなくても自分の栄養は自分でとって生きていきたい。
自分で自分を作るなんて言ったら大げさだけど、粘土で穴を埋めるみたいに工作していこうかな。
ほら、自分の言葉で書くことはこんなにも楽しい。
あさの