少女はうつむいていた。
歩き出そうと前を向き、目にした廃墟がぼやけて霞んだ。泣いたのだ。
こんな死に損ないがどこにいる。
少女は廃墟の吹き抜けから見投げしたが、地階にあった袋やマットのお陰で助かったのだ。
私は死ななければ行けない。呼ばれているのだ。病気も治らない、正しく生きることができない私は死の方が近いと言えた。
それならばと手近にあったロープを手に取る。
首をつろうと思った。
そのとき声が聞こえた。
「その辺にしなよ」
体が強ばった。
ここは誰も来ない廃墟のはず。それなのに足を踏み入れる私のような物好きがいるのだろうか。
声はしたが一向に姿が見えない。
「誰?止めないでよ」
声を無視して鉄柱に縄をくくりつけた。
端を輪にする。
幻聴だったかもしれない。
心のどこかで止めて欲しいと思っているのだろうか。
縄に首を突っ込み、踏み台にしたブロックを蹴った。
縄が首に食い込む感覚。息ができない。苦しい。
さようなら世界。私は死ぬのだ。
そのとき、突然息ができるようになった。
視界が白と黒交互になる。
意識がはっきりとしないが生きているらしいことがわかった。
私はあまりの苦しさに失禁していた。
ぜーはーと荒い呼吸を繰り返すなかで、黒い布のようなものが見えた。
布は、私になにかを差し出す。
「これ、食べな」
口を捕まれ、強制的に食べさせられたものはチョコレートだった。
甘い感覚が口一杯に広がる。
布は、次から次へと私の口にチョコを放り込んだ。
「もう入らない…」
横になっているので、鼻からチョコが出てきそうだ。鼻に違和感があったので拭ってみたら血が出ていた。
いやに苦しい。呼吸と咳を繰り返し、私は生きようとしていた。
咳をすると鼻血が飛び、チョコで噎せてさらにひどくなった。
「わー、汚い」
布は私の目前で揺れ、ティッシュで鼻を無造作に拭った。
起き上がることのできない私は、まるで小学生のらくがきのように赤と茶色で汚れていた。
「いいところ知ってるからおいで」
布は私の腰に手を起き、無理矢理起こさせた。
そして手を引いて、歩き始めた。
「歩けない、苦しい、寝かせて」
「歩けてるじゃない。ああ、かわいいワンピース着てるのに台無し」
果たして、布はなんなのだろう?
よく見てみると男の人のように見えた。しかし瞬きをすると少女が私の手を引いているのがわかる。
目がおかしくなってしまったのだろうか?
見る度に姿を帰る目前の人間は、あの布であるはずなのだ。
「ここだよ」
連れていかれた先は銭湯であった。
隣には私とお揃いのワンピースを着た少女がいた。
番台のおばさんに声をかける。
「おばちゃん、女の子二枚」
「あいよ。ずいぶんとその子は泥だらけじゃない」
「かわいそうにね、転んじゃったの。さあ、行こう」
「どうして…」
「いいから」
されるがままに服を脱がされて、体を洗われている。
「わあ、膝の傷。染みるでしょ」
「しみる。いたいよ」
「タオルで押さえたらいいよ」
「もう自分で歩けるね。お風呂入ろう」
「うん」
「あったかいね」
「うん」
「生きてるって感じするでしょ」
「うん」
「……泣いて大丈夫だよ。他のお客さんいないから」
「うん……。泣けない、どうしてだろう。私、また死のうとすると思う。そんな気がする」
「それはいけない」
「あなたは誰?」
それは風呂を上がってから。
といって女の子は先に湯船を出ていった。
服を着る。女の子は私と同じワンピースを着ていたが、私よりも似合っていた。白い肌、長い睫。理想のような女の子だった。
「あなた布をまとっていたよね?」
さあ?と女の子はこ首をかしげる。
「こっち。行きましょう」
再び手を引かれて連れていかれたのは近所の公園だった。
自動販売機があり、女の子が私に尋ねる。
「炭酸飲める?銭湯で牛乳買えばよかった。失敗」
「飲めるけど」
女の子は手に2つコーラを持って私の座るブランコにやってきた。
「はいどうぞ」
「ありがとう……」
「暗くなってきたね。危ないからちょっと……」
コーラのふたを開ける。口に含むと口内がすごく痛かった。
「いたっ」
「口きっちゃったんだね。かわいそうに。僕にそれを直す力はない」
ふと横を見るとそこには私と同い年ぐらいの髪の長い男の子がいた。
「えっ、どうして」
「どうしてでしょう?」
男の子が意地悪く笑う。
「暗くなってきたからさ、女の子二人だと危ないでしょ?」
それは答えになっていない。それではこう質問するのがいいのかもしれない。
「あなたは何?」
「いい質問だね」
男の子はどこからかチョコを取り出して食べ始めた。
「僕は死神なんだ」
どういうこと?なんの冗談?
「あ、言葉につまってるね」
街灯に照らされたその顔は整っていて、人形のようだった。
「僕は人をお迎えするのが仕事なんだ」
「じゃあ、どうして私を助けたの」
「僕は苦手なんだ。人の死が」
「死が?」
「そう」
男の子はふーっと息を吐いた。
「光が目から消える瞬間、それを感じるのが苦手で、だから助けてしまった」
「それじゃあ、私は」
死ぬはずだったのに助かってしまったのだろうか?それとも、まだ寿命ではなかったのか……。
そんな恐ろしいことを訊けなくて黙ってしまった。
二人の間に沈黙が流れる。
ふと横を見ると、さっきよりも年のいった男性がいた。
「もう遅い。家まで送るよ」
そんな中途半端な優しさはいらないと思った。
泣きたいのにまた涙がでなかった。
その男性に送られる間、私はずっと黙っていて、彼もそうした。
「さよなら」
私が言うと、
「じゃあ」
彼は言った。
その日はそのまはま布団に入り、外が明るくなってから眠りについた。