死神に会ってから2日、私は学校も休み、ベッドで眠り続けていた。
眠り続けるといってもずっと眠ることは不可能で、起きたままぼーっと横になっていたり、トイレにも行ったし、食事も少し摂った。
私はそんな中途半端な優しさいらない。
先日の自分の心の声には驚いた。
他人に何を期待しているのだろう?
この病気は治らないし、誰にも心のうちを話せないし、家から出ることもできず、死ぬしかないと言うのに。
学校に行っても、体調が悪くなって途中で帰ってくることがほとんどだった。
優しくしてくれるクラスメイトはいたが、学校は苦痛でしかなかった。
家族だって医者ではない。
ずっとそばにいてくれるわけでもないし、母も働いているから日中は一人だった。
廃墟で飛び降りる前も一日、日中は家で読書をしているか、パソコンで自殺サイトをみるかしかしていなかった。
私は2日ぶりに家を出ることにした。
何か、この生活から抜け出す何かが欲しかった。
行く場所と行っても私に浮かぶのは図書館か映画館ぐらいだった。
私は遠くの図書館へ行くことにした。
自転車で最寄り駅まで行き、地下鉄に乗り、そこから市電に乗り継ぐ。
時間とお金がかかったが、いまの私にはどちらも、他にかけるものがないから良しとした。
市電を降りてすぐが図書館だった。大きな図書館にいると落ち着く。
私は海外の児童文学のコーナーにいた。
アンデルセン、グリム童話……。昔の人々が考えた物語。そこには今も私も、病気もない。
遠くに心が行っているようで落ち着いた。
ページをめくる手を止めて顔をあげると、知らない少年がいた。
「ねえ、それ、読みきかせしてよ」
「私?」
「そう、お姉ちゃん」
「……いいよ。他の人がいるから小さい声ね」
物語は人魚姫だった。
王子様を助けた人魚姫は、声を失う代わりに人間になるが、王子様への思いが破れて魔法がとけ、泡になって消えてしまう。
ああ、私も、消えることができたら。
なんて思ってしまった。
「おしまい。面白かった?」
「うん。お姉ちゃん読みきかせ上手。でも、僕は人魚姫と王子様が結婚して欲しかった」
「そうね。悲しいお話しだよね」
「僕この本借りていく。家で人魚姫が幸せになる続きを書いてあげるんだ。じゃあね。」
男の子はかけていき、お母さんのところへ行った。
物語の続きを書こうとするなんて、よっぽど人魚姫に感情移入したのだな
可愛かった。子どもは好きだった。
思いがけず良いことがあったので、顔がほころんでしまう。
すると、背後から声がした。
「楽しかったかい、読みきかせ」
振り向くと、おじいさんが立っていた。
三つ揃えのスーツを着て、清潔感のあるおじいさんだったが、昼間の図書館にはきっちりしすぎて少し違和感があった。
「はい。楽しかったです」
「私にも本を選んでもらえないかな」
「本をですか?」
「今読みきかせしてただろう。羨ましくなって」
「そうですね、私は童話しか読まないのですけれど……。白雪姫はどうでしょうか」
「ふむ。他には?」
「ええと……。眠る森のお姫様はどうでしょうか。いばら姫とも言われています」
「知らないなあ。どういう話しだい?」
「昔、あるところに国王の娘として生まれた女の子がいました。女の子は、悪い魔女のせいで、15歳のときに100年の眠りにつく呪いをかけられてしまいます。100年後、城にやってきた王子様のキスで目覚めて幸せに暮らしました。と言う話です」
「そうか。姫はしあわせだったのかな?会ったばかりの男と結婚をして。迎えに来るのが王子様か、はたまた誰だったらあなたはうれしい?」
「私は……100年経っているけれど、家族の誰かが迎えてくれたら嬉しいです。それか、最初に会った魔法使いの誰かとか」
「なるほど。全うな答えだ。ではそれを借りていこう。あなたの好きな話しはなんだい?」
「私は……そうですね、人魚姫が好きです」
自分が泡になっても人の幸せを祝える心がうらやましい。それに、男の子が書くと言う続きが気になった。
「人魚姫か。そうだ、私も続きを書こう」
「おじいさんもですか」
「読んでくれるかい?」
「ええ、読みます」
「そうか。では書きます。また今度」
そう言って、おじいさんは去っていった。
次の約束も連絡先もわからないでどうやってまた会うのか、会えるのか分からなかったが、なんだか『また』が待ち遠しくなって、少しだけ明るい気持ちになった。
その後『人魚姫』を借りて帰り、寝る前にもう一度読んでみた。悲しい終わりかただけれど、もちろんお話しとして綺麗にまとまっている。ここに付け足すとしたら……。
自分はどうしたいだろう。お話しを考えながら眠りについた。
一週間後、図書館へ赴いた。
この間、学校へ行ってみたり、人魚姫の続きを書いてみたりした。
学校では教室にいられなかったけれど、図書室で興味深い本を発見した。
『アンデルセン研究』と言う本だ。
そこからヒントを得て、お話しの続きを考えてみた。
私が考えた続きはこうだ。
恋に破れた人魚姫は、人魚に戻るためにお姉さんたちから渡されたナイフで王子様を殺すことはできず、ここまでは同じなのだが、そのナイフで自らの首を切ってしまう。
そして、運び込まれ助けられた教会でシスターとして修道生活を送る……。
きっと、国の王子様を目にする機会もあっただろう。かなわない密かな恋心を持ちながら、同じ国で静かに生活を送る彼女はささやかな幸せを感じていたに違いない。
図書館へ向かう市電のなかで自分が書いた原稿を読み直し、荒いところもあるけれど完成させられたことを嬉しく思った。
おじいさんは来てくれるだろうか。待ち合わせをしていないのだけれど……。
2時に図書館に着いて、児童文学のコーナーでページをめくり、一時間待った。
3時を少し過ぎた頃、おじいさんはやってきた。
「やあ。待ったかなあ。元気だったかい?」
「元気でしたよ。おじいさんは?」
前回とはまた違ったスーツを着て、そんな調子で横の席につく。
「私も、元気でしたよ。人魚姫の続きを書いてきました」
そう言って、ノートを取り出した。
「下の喫茶店で、コーヒーでも飲みながら話さないかい」
「いいですよ」
図書館の地下には喫茶店があった。土日は借りた本を読む人、おしゃべりをする人で賑わうが、平日なので空いているだろう。
地下に降りると、思った通り、先客は読書をする男性と、壁に掛けてある絵画を眺める女性だけだった。
「ここにしましょう」
私達は席を選んで、コーヒーを注文した。
じゃあ、これ、とお互いの作品を交換して読む。
おじいさんの考えた続きはこうだった。
人魚姫は、お姉さんたちから渡されたナイフで王子様を殺してしまう。
そして、それを見ていた死神に魅入られ、人魚にも戻ることができず、死神と共に一生を暮らす……。
これのどこが幸せなのだろう。いや、そうだった、おじいさんは続きを書くと言ったけれど、幸せにするとは一言も言っていなかった。
「あなたはもしかして」
「そうですよ。やっと気づいたのですか」
優しく微笑むけれど、私はこの人が誰か、いや、何か分かってしまった。
この人は死神だ。
さっきまでの楽しい気持ちは去り、暗雲たる気持ちになった。
それでは、物語の『死神に魅入られて』とは、もしかして。
「僕は」
死神ーーもとい少年ーーは深く息を吸った。
「君が気に入った」
いつの間に少年になったのか、整った顔でまっすぐ射抜かれるように注視されるけれど、私の心は凍りついたようだった。
「どうしたら、どうしたら許してくれますか」
泣きそうになりながら言葉にする。
少年は答えた。
「許すもなにもないよ。僕はただ、君といたいだけ」
私は絶句した。
こんなにも情熱的な言葉を貰いながら、急激に冷えた心でその人を見る。
「私は……こうしてつけ回されるのが嫌です」
「酷いなあ、こんなにも直接的に君が必要と言っているのに」
「あなたは誰にでも姿を変えることができます。無視していても、きっと誰かになって私に近づくでしょう」
これから先、誰かと親しくなったとしても、その人が死神かもしれないなんて。
今以上に誰にも心を開けなくなる。
「そうだなあ、じゃあどちらか選んで。このままの寿命で、今まで通り生活する。もしくは、今より寿命が短くなる代わりに、誰が死神かわかる」
そんなこと選べない、私はこれまで静かに生活していただけなのに急に色々なことが起こりすぎている。
でも、これでよかったのかもしれない。後者を選べば、今より寿命が短くなることは決定となる。
私は安易に選択してしまった。
「寿命が短くなってもいい……。後者を選びます」
「そう?僕はもっと長く君といたかったのに。わかったよ。君はあと10年、25歳までの命だよ」
ああ、と思った。急に余命宣告をされてしまった。
「それで、今日はこれからどこに行こうか?」
私は、この厄介な『人』にどこまで振り回されるのだろう。
深く息を吸って、吐いた。